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福岡高等裁判所那覇支部 昭和47年(う)63号 判決

主文

1  原判決を全部破棄する。

2  被告人砂川邦彦を沖繩の刑法による懲役三月に、同宮里徳仁を沖繩の刑法による懲役一〇月に各処する。

3  ただし、この裁判確定の日から、被告人砂川に対し一年間、同宮里に対し二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

4  原審における訴訟費用中、証人仲宗根吉雄、同洌鎌玄一および同友利恵彦に支給した分は被告人宮里の負担とする。

5  被告人下地肇、同亀浜弘、同与那覇博敏、同友利博佳および同伊佐清は、いずれも無罪。

6  被告人砂川邦彦は、沖繩の刑法による騒擾附和随行の点につき、被告人宮里徳仁は、沖繩の刑法による騒擾助勢の点につき、いずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人深沢栄一郎および被告人下地肇作成名義の各控訴趣意書に、これに対する答弁は、検事大谷晴次作成名義の答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は、次のとおり判断する。

控訴趣意中被告人らを含む農民らの本件暴行脅迫によつてはいまだ一地方の公共の静謐が阻害されていなかつたとの主張について。

所論は、るる述べるが、その趣旨は、要するに、宮古琉映館付近および宮古警察署周辺における農民らの所為は一般住民を対象とする暴行、脅迫ではなく、しかも一般住民の生命、身体、財産に対し、危害を及ぼすおそれのある程度に達していなかつたから、これにより一地方の静謚が現実に阻害されたとはいえないのであり、したがつてこの点だけからみても、到底騒擾罪は成立しないことが明らかであるのに、同罪の成立を認めた原判決には、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つた違法があるというにあるものと解される。

ところで、騒擾罪が成立するためには、当該暴行、脅迫が一地方における公共の平和を害するに足りる程度に達すれば足りるのであり、これによつて現実に公共の平和が侵害される結果を生じたことは必要ではないものと解するのが相当である。そして、右の「一地方における公共の平和を害するに足りる程度」の暴行、脅迫があつたかどうかは、当該暴行、脅迫の手段、方法、態様および対象のみならず、集合した人員の数、集合の時刻、場所、携行した兇器の有無、種類、集合の目的等、その際の具体的状況により判断しなければならない。

よつて、本件記録を精査して審案した結果、当裁判所は本件について騒擾罪の成立を否定せざるを得ないとの結論に達したのであり、その理由は次のとおりである。

第一琉映館前における警官隊に対する投石等の攻撃に至るまでの経過

一右経過について、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  宮古製糖株式会社(以下「宮糖」という。)は、一九五九年に設立されたが、一九六三年宮古全島の大旱魃による甘蔗不作等により約一〇〇万ドルの赤字をかかえるに及んで、宮糖幹部は、当時同じく経営不振であつた伊良部製糖株式会社および宮多製糖株式会社と合併するのが経営合理化のための最善の途であると考えるようになつた。そしてこの見解は当時の琉球政府の勧告し、支持するところでもあつた。

(2)  一方、宮古地区の農民で組織された宮古地区農民協議会(以下「農民協」という)は、宮糖等三社の合併は、企業の独占化による農民生活の圧迫につながるとして、右合併に反対し、そのための運動を行なうことになつた。そこで、宮糖幹部は合併の趣旨について農民の理解を得ようとつとめ、農民協の申し入れに応じて、一九六五年六月二一日および同月二三日の二回にわたつて団体交渉を行なつたが、話し合いは進展せず、とくに二回目の団体交渉の際には、口笛や罵声がとび騒然とした状況になつたため、宮糖役員は、警察官の助けによつて脱出する程であつた。そして、同月二五日宮古郡城辺町字砂川宮糖工場倉庫において合併に関する臨時株主総会が開催されたが、農民協は、右総会の開催に反対するため、同日午前中に合併反対の農民集会を開催した後、右会場付近に約一〇〇〇名の農民が坐り込み、株主に対して総会の議場に入場しないように呼びかけた。そのため右総会は定足数に達せず、合併の仮決議をしたものの、なお速やかに本決議を得る必要から、同年七月二四日午前九時宮古琉映館(以下琉映館という)および沖映館において臨時株主総会を開催することと決定された。ところが、宮糖役員が退出する際、興奮した一部農民ともみ合いとなつたため、警察官の実力行使が行なわれた。一方農民協としては、あくまで、合併阻止の運動を行なうことを決めていた。

(3)  右臨時株主総会に先立ち、同年七月二一日平良中学校において、宮古農民大会が開催され、数千の農民の参加のもとに、宮糖に対するきび代値上げ、合併反対等の決議案を採択するとともに、同月二三日に上野村農協前広場で宮古郡民大会を開くことが決定された。右決定にもとづき、同日上野村農協前広場で約二、〇〇〇名の農民の参加のもとに、宮古郡民大会が開催され、三社の合併を阻止するため、同日夜から宮糖臨時株主総会会場である琉映館および沖映館付近に坐り込むことが決定された。そして、同日午後九時三〇分頃、約一、〇〇〇名の農民が前記広場に集まり、隊列を整えて右総会場へ向い、同会場付近の道路に坐り込んで一夜を明かした。

(4)  宮糖では、予定通り臨時株主総会の開催を決行することにしたが、農民らが強力な阻止行動に出ることが予想されたため、その対策を協議した結果、宮糖の関連会社から約二五〇名の応援を求め、総会場の受付、会場整理および警備等に当てることとした。七月二四日午前零時頃、宮糖の役員は代表取締役社長真喜屋恵義を除いて全員琉映館に入り、ついで、右社長が午前五時頃約三〇名の警備員とともに琉映館に赴き、裏側の非常口から同館に入り、三階にある館主の部屋で共に待機していた。しかし、同社長とともに同館に入つた警備員中約二〇名は、農民らに発見され、取り囲まれる等して正面入口から外に退去させられた。

(5)  一方、同日午前五時四〇分頃、宮糖の警備員約一五〇名は、垣花郁夫の指揮のもとに、琉映館東側十字路から琉映館に向つたが、農民らの抵抗を受けることなく、同館入口に到着し、株主総会の受付および警備のため同所付近に坐り込んだ。しかし、夜明けとともに、次第に付近の農民の数は増加し、農民協幹部らは右農民らに対し、宮糖の警備員を入れないようにとか、総会を開かせないように団結しようとか呼びかけていた。そのうち農民らの中から「殺せ。」などという罵声が飛び喚声とともに、警備員に向つて棒切れ、石ころなどが投げられ、農民らと警備員との押し合いになつたが、警備員は、結局一人一人ごぼう抜きでその場から引きずり出され、午前六時三〇分頃、右垣花の指示により琉映館東側にある平良産業に引き上げることを余儀なくされた。

(6)  同日午前九時頃、右垣花は、約二五〇名の警備員を連れて再び琉映館に向つて行進したが、約五〇〇名の農民と押し合いとなり、結局三〇分程で警備員らは押し戻され、再び平良産業付近に後退させられた。右押し合いの際、警備員の中には、農民らから殴られたり、蹴られたりして負傷するものもあつた。

(7)  琉映館々主の部屋で待機していた真喜屋社長以下宮糖の役員は、右のような状況では、株主の出席をまつて株主総会を開くことは到底無理であると判断し、午前九時頃、その場で他の株主の出席を得ず役員だけで株主総会を開き、委任状による分を含めた議決権の行使によつて三社合併の決議をした。

(8)  右のような事情を知るよしもない農民らは、株主総会開催の予定時刻を過ぎた午前一〇時頃になつても株主総会が開催される様子がなかつたところから、漸く騒ぎ出し、そのうちの何名かが、きつと琉映館の内部に真喜屋社長らが隠れているにちがいないとして、館内を探しはじめ、ついに、同館々主の部屋いる社長らを発見し、同人を同館二階事務所に連行して同所において数十名で取り囲み、「農民の敵は殺せ。」などと罵しり、合併をするのかしないのか返事をするように要求し、ここに同人は、このような興奮状態にある農民らに取り囲まれた騒然たる中で、「合併はしない。」旨約束するにいたつたが、その間救出を求めるため宮古警察署へ電話をしていた与那原林は、農民らに通話を妨げられた。

(9)  宮古警察署長は、真喜屋社長らが農民らに取り囲まれ、危険にさらされているとの前記与那原からの電話連絡およびあらかじめ現場偵察のために派遣しておいた警察官からの報告により、右社長が琉映館内で農民らに監禁されており、これを救出する必要があるとの判断に達し、同署々員四三名のほか、さきに沖繩本島所在警察本部から応援のため派遣されていた警察官三〇名を加えた合計七三名(二個小隊)を出動させることにし、午前一〇時四七分頃、署長を先頭に四列縦隊で同署を出発し、琉映館東側十字路北側から右折し、同館へ向け行進し、同館入口の二〇メートル程先まで進行した地点で多数の群集のため先に進めない状況となつた。このときまでは警察官に対する投石も罵声もほとんどなかつたが、農民らの群集の数は約二、〇〇〇名に達していた。

(10)  なお、原判示のとおり、琉映館前通りは、西側の市場大通りとの十字路から東側の平良産業西方十字路まで約一二〇メートル、巾五メートルのコンクリート舗装道路であつて、東側の十字路から約四〇メートル西進した地点の南側に琉映館があり、道路を距てた同館向いの西側に駐車場用の空地があるほかは、飲食店、旅行社、商店等が軒を並べていて、平良市内でも人通りの多い繁華街に属し、右通りの南方約四〇メートル(琉映館裏側)には、同通りと平行して下里大通りが走つている。

二以上の事実によると、右農民らが琉映館付近に集合した目的は、宮糖が他の会社と合併することになると農民らの生活が圧迫されることになると真剣に考え、その不安から、宮糖の臨時株主総会における合併決議に反対することにあつて、その際右農民らにおいて、総会阻止のため、警備員に対する前示のような程度の実力行使を行なう事態が発生するかも知れないということは予想していたものと推認できるとしても、右総会阻止のためいわゆる暴動を起すという事前の謀議があつたことは本件全証拠によつてもこれを認めるに足りないばかりか、右農民らが兇器(本来兇器の性質を有するものはもとより、用法によつては兇器となりうるようなものを含む。)をなんら準備していなかつたことを考慮すると、この段階では、右農民らにおいて警察官に対し激しい投石を行なうとか、ましてや琉映館が平良市内の繁華街に所在することを考慮に入れても、同地方の静謐を害するに足りるような暴行脅迫を行なうことを全く予想していなかつたものというべきである。

ところで、検察官は、前示(5)および(6)の事態をもつて、騒擾の成立があつたものとして公訴を提起しているが、前示したところから明らかなように、右事態における暴行、脅迫はいまだ一地方における公共の平和を害するに足りる程度に達してはいなかつたものというべきであり、したがつて、この段階においては騒擾の成立はなかつたものといわざるを得ない。

第二琉映館前における警官隊に対する投石等の攻撃の状況

一右状況について、原判示挙示の関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1)  前記のように、宮古警察署長以下七三名の警察官は、午前一〇時五三分頃、隊列を組んだままほとんど抵抗を受けることもなく、琉映館東側約二〇メートルの地点まで進んだ。右警官隊を認めた農民らは、口笛を吹き鳴し、怒号と罵声で気勢を上げながら一斉に立ち上り、「警察官は帰れ。」などと怒号しながら、スクラムを組んで警官隊の進行を阻止しはじめたため、警官隊はそれ以上前進することができなくなつた。そこで、宮古警察署長は、「私は宮古警察署長です。」と再三にわたり警告を発したが、農民らは、喚声をあげ、口笛をふいてスクラムを組んだまま進路を開こうとしなかつた。そこで、同署長は、「警棒をはずせ前進。」との号令を発したので、警官隊は、警棒を両手で横に構え、農民らを押しのけながら前進したところ、スクラムを組んでいた集団はその力に押されて七メートル程後退した。

(2)  宮古警察署長が前記のように警告をはじめた頃から、群衆の間より若干の投石がなされたが、前記のように警官隊が農民らの排除にかかつたところ、農民らは、「警察官は何しに来たか。」「宮糖の応援に来たのだろう。」「警察官は帰れ。」「警察官の一人や二人は殺せ。」などの激しの罵声をあびせ、わあつという喚声とともに、付近道路上および民家屋上にいた少なくとも数十名以上の群衆が、警察官目がけて、石、ブロック片、セメン瓦、割れびん、木片を一斉に投げつけはじめた。これらの投てきのため、警官隊は、前進も後退も不可能となり、隊列を乱して警棒でこれを避けながら、民家の軒下などに身を寄せざるを得ない状況となつた。このような事態に直面した宮古警察署長は、隊員に対し、琉映館内に入るよう命じたが、さきに館内に入つていた農民らが同館正面扉を閉めて警察官らの入場を拒んだため、警察官らは、扉の下方のガラスを警棒で叩き割つたうえ、全員が同館内に入つて投石を避けた。

(3)  この間約一〇分足らずであつたが、右投石等により、原判示のとおり二九名(原判決添付警察官の負傷状況一覧表記載の三五名中3、7、8、11、33、34の六名を除く。)の警察官が全治まで五日間ないし三週間を要する打撲傷等の傷害を負つた。

二右事実によれば、右警官隊に対する暴行、脅迫は、これにより警察官の三分の一を超える二九名が負傷していることからもうかがわれるように、相当激しいものであつたことが推認されるけれども、右農民らが投てきに使用した物件は石、ブロック片、セメン瓦、割れびん、木片等であつて、いずれもたまたま本件現場付近にあつたものであり、さらに危険な火炎びん等の兇器を使用する等過激な手段に及んだものではなかつたし、暴行、脅迫のなされた時間も一〇分間に足りないものであり、場所も琉映館前付近に限られ、対象も専ら農民らに対し規制措置をとつた警官隊に限られ、それ以上に付近の一般住民に対し、暴行、脅迫を加えたものではなかつたことを併せ考えると、前示農民らの警官隊に対する暴行、脅迫は、いまだ一般住民の生命、身体、財産に危害を及ぼすおそれのある程度に達していたものとは認め難く、したがつて、一地方の静謐を害するに足りる程度のものであつたとはいい難いものといわざるを得ない。

第三警官隊が琉映館に入つてから同館を脱出するまでの状況

一右状況について、原判決挙示の関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(一)  警察官に対する攻撃

(1) 前記のように琉映館内に入つた警察官のうちの約五五名は、一階観覧席で待機していたが、同館を取り囲んだ農民らは、口々に「警察官を殺せ。」などと罵声を浴せ、同館の窓や、非常口、スクリーンの北側などから右警察官に対し、石、ブロック片、コンクリート片、ガラスびん等を投げつけていた。そのため、警察官は、後部立見席の方へ寄つたりあるいは腰掛に身をふせるなどして、投てきを避けていた。同館の外側はかなり騒然とした状況であり、警察官らが同館正面入口から外に出ることは危険であり、むしろ不可能に近い状況であつた。

(2) また警官隊の一部は、連絡のため琉映館の一階と二階とを往復していたが、農民らは、同館前道路上や人家の屋根、庇の上からなど警察官の姿を見かける都度、右セメント瓦、ブロツク片等を投げつけ、同館庇の上には大きな石をリレー式に運び上げるものもいた。このような状態は、警官隊が同館を脱出する同日午後三時三五分頃まで続き、右投石などのため同館の窓ガラスは殆んど全部破壊されるにいたつた。

(二)  負傷した警察官に対する攻撃

(1) 前記のように琉映館内に入ろうとした際、照屋淳英巡査は、右手背部に約一〇日間の通院加療を要する挫創を負い、内間秀一巡査は、大腿部に割れ瓶の投てきを受けて全治まで約一〇日間を要する挫傷を負い、めまいがし、足もしびれる状態となり、浜川智幸巡査は、ガラス瓶等により全治まで一〇日間を要する左前腕、左大腿切創を負つたが、とくに右照屋、内間両巡査は、出血がひどく、一階観覧席で他の警察官に看護されていた。

(2) しかし、両巡査は、出血のため約一時間程で顔面が蒼白となり、重傷と判断されたため、宮古警察署長の依頼に基づき、農民協幹部が同巡査らを伴つて同館を退出することになり、新垣盛義および浜川智照巡査が右内間巡査の両側からその肩を抱きかかえ、これに負傷していた右照屋巡査および浜川智幸巡査がつづき、右五名は、午前一一時五五分頃農民協幹部の者に従つて同館正面入口から外に出た。

(3) そして、農民協幹部が農民らに対し、「負傷した警察官は出してやろうじやないか。」といつて、右警察官の退出について同意を求めたところ農民らは、「警官の一人や二人位かまわん。殺してしまえ。」などという怒号とともに右警察官を取り囲み、一部の者は、背中や足を叩き、さらに付近人家屋根から石、屋根瓦、ブロック等を投げつけたため、右五名の警察官は、一時立往生の状況になつたが、農民らに体当りをして活路を開き、漸くその場を脱出した。群衆の一部の者は、なおも「殺せ。」などといいながら右警察官らを追いかけたが、警察官らは、たまたま通りがかりのタクシーに乗車して難を逃れ、宮古病院に赴いて手当を受けることができた。

(三)  琉映館内における農民協幹部の行動等

(1) これより先同館内に入つた宮古警察署嘉手納次長外約一五名の警察官は、真喜屋社長のいる二階へ上つたところ、同所には約二〇ないし三〇名の群衆がいたが、警察宮に対し抵抗はしなかつた。右警察官らは、同階の事務室の扉をあけようとしたがあかなかつたので、島村警部が体当りをして扉をあけたところ、農民協幹部ほか約二〇名の農民が真喜屋社長を取り囲んでいたた。

(2) 真喜屋社長は、さきに一の(8)に述べたとおり、農民協幹部らに対し「総会もしない。合併もしない。」旨約束したが、農民協幹部の大城昌夫は社長に対し、なおも、「皆の前に出て、マイクで報告せよ。」と要求した。しかし、右社長は、「皆の前に出ると危ないから出ない。」旨申し述べて、右要求を拒否し、その代わりに農民協幹部が用意していた携帯マイクで事務室内から外部に向つて「総会もしない。合併もしない。」旨宣言したのであるが、農民らは、これを聞いて歓声をあげ、それまで続いていた館内に対する投石等は一時小康状態になつた。しかし、しばらくすると、投石は再び激しさを増してきた。

(3) その後も農民協幹部は、警察官らが見守る中を、真喜屋社長と交渉を続け、合併をしない旨の言葉だけでは信用することができないとして、真喜屋社長に対し右文言を文書にするよう要求し、その場に居合わせた新聞記者から用紙をもらい、「総会もしない。合併もしない。」旨の宣言を文書に書かせたうえ、当時投石により負傷し出血していた嘉手納次長の血液を印肉代わりに使用し、社長に拇印を押させた。

(4) 続いて、農民協幹部の大城昌夫ら四、五名は、宮古警察署長に対し、「警察官の出動は経済斗争に対する干渉であり、農民の怒りは非常に激しい。この事態を収拾するために農民に詫びたらどうか。」などと要求したが、同署長は、これを拒否し、午後二時頃さらに、農民協幹部らが「農民を引揚げさせるようにする。」「警察官および社長以下の幹部が同館を出るときに石を投げさせないようにするから、事後において刑事責任を問わないようにしてくれ。」と要求したのに対しても、同署長は、「刑事責任を問わないとは言明することができないが、後は自分に任せてくれ。」と答えた。そこで大城昌夫は、琉映館付近の農民らに対して、「我々は勝つたんだから、投石しても意味がない。すぐ平良農協の広場の方へ集合せよ。」と呼びかけたが、これに従うものはごく一部にすぎず、大部分は依然として同館付近にとどまつていた。

(5) 右大城昌夫は、さらに、真喜屋社長に対し、上野農協前に同道して農民との団体交渉に応じてもらいたい旨要求したが、社長は、「農民協幹部と一緒に行くことは好まない。」と述べて、これを拒否し、さらに警察官の保護を求めた。

(6) 午後三時三〇分頃にいたり、農民協幹部らは、真喜屋社長および警察官らに対して、「もう帰る。我々が帰つたら後の責任は持たんぞ。」と言い残して館外に立ち去つた。

(四)  一般人に対する攻撃

(1) 琉映館前道路上の農民らの一部の者は、同日午前一一時頃、同館斜左向い側の皆美写真館二階で前記のような農民らの投石行為等の写真撮影をしていた二人の男の姿を見かけるや、「写真をとつているぞ。」と叫び、同写真館めがけて数回投石をし、農民の一人は同写真館に入り、その男から撮影した写真のフィルムを交付させた。

(2) また、午前一一時過ぎ頃、沖繩タイムス記者国吉真永が琉映館付述でカメラを持つて取材中、農民数十名がこれを取り囲んで、「警官だ。」「カメラを取り上げろ。」「なぐつてしまえ。」等と叫び、こずきまわし、投石をし左腕に二日間の痛みを覚える傷害を負わせた。

(五)  農民らの投石行為等により生じた損害

(1) 原判示のとおり、五名(原判決添付警察官の負傷状況一覧表記載の三五名中3、6、7、33および34)の警察官が全治まで五日間ないし一〇日間を要する打撲傷等の傷害を負つた。

(2) 琉映館および同館階下部分に隣接する国際旅行社の窓ガラス一五九枚、トタン一六枚、陳列ケース二台、受話機三台、自転車四台、オートバイ一台、扇風機二台および事務書類その他が破損し、あるいは紛失し、合計一、五〇六ドル〇二セントの損害を生じ、また、同館の隣り渡真利次郎方屋根瓦六八枚が損壊したほか、近隣七軒の家屋が屋根瓦、ビニールトタン、スレートブロックを損壊された。

二以上の各事実によれば、琉映館付近にいた農民らによる投石等の暴行および脅迫は、相当激しいものであつたと認められ、警察官は、午前一一時頃から午後三時三〇分頃までの間琉映館内に閉じ込められたのと同様の状態となり、そのため、琉映館内および同館付近においては、事実上警察権を行使することが著しく困難な状態にあつたことがうかがわれるけれども、農民らによる攻撃は専ら琉映館内の警察官に対するものであり、その手段、方法も、同館付近にあつた石、セメント片、ブロック片、ガラス瓶等を投てきすること以上に、さらに危険な火炎びん等の兇器を使用する等過激な手段に及んだもでなく、しかも、場所的にみても、琉映館内およびその周辺に限られており、一般人に対する攻撃は、(四)の(1)および(2)に示した程度であり、付近住民は、農民らと顔見知りのものもいる関係上、自分達の生命、身体、財産に対して農民らが危害を加えてくるかも知れないとの恐怖心をほとんど持つていなかつたことがうかがわれる。それのみならず、一般住民の受けた損害は、警察官に対する投石等に伴つて琉映館および国際旅行社において前示のとおり約一、五〇〇ドルの損害を生じたほか、さしたるものではなかつたことが明らかであり、したがつて、前示農民らの暴行、脅迫は、いまだ一般住民の生命、身体、財産に対し危害を及ぼすおそれがあつて、これにより一地方の静謐を害するに足りる程度に達していたとはいい難いものといわざるを得ない。

第四琉映館脱出後の警察官に対する攻撃の状況

一右状況については、原判決挙示の関係各証拠により、次の事実が認められる。

(1)  前示のように、農民協幹部らが琉映館から立ち去つた後、警官隊は、同館からの脱出を検討したが、まだ多数の農民らが同館付近に集つている現状では正面玄関から脱出することは危険であると判断して、裏口から脱出することに決め、午後三時三五分頃、裏側非常口の扉を数名の警察官の体当りによつて破壊し、裏路地を通つて、下里大通りに出た。

(2)  その際、警官隊と共に同館を脱出して来た宮糖の役員らは、待機させていたタクシーに乗つて、同所から脱出し、一方、警官隊は、宮古警察署に向つた。

(3)  このように、警官隊が同館を脱出するのを発見するや、農民らの中から、「警察官が逃げたぞ。」との声があがり、数百名の群衆らは、喚声を上げ、投石をしながら、警官隊に迫つて来たため、警官隊は、下里大通りおよび市場大通りを、隊列を乱し、全力疾走して、宮古警察署に引き上げた。その際、警察官の中には、群衆の一部から自転車を足許に投げつけられたり、激しい投石を浴びたりした者もいた。

(4)  数百名の群衆は、なおも、警官隊の後方三、四〇メートルから投石をしながら警官隊に迫り、宮古警察署付近では、同署を半ば包囲するような形で、同署に向つて投石をしたため、署長は、ついに警察官らにカービン銃を持つことを命じた。ここにおいて、警察官らは、カービン銃で威嚇発砲し、戸板で投石を防ぎつつ、市場大通りと西里大通りとの十字路付近まで前進して、群衆と対峙したが、午後六時頃になつて、群衆は解散したため、漸く騒ぎは静まつた。

(5)  琉映館前通りの西側十字路から宮古警察署方面に通ずる市場通りの商店は、二四日当日平常通り店を開けていたが、警官隊が群衆に追われてくる頃から、警察官の指示などもあつて、店を閉めるにいたつた。市場通りの住民には、商店を経営する者が多く、農民らと互に顔知見りの者も多かつたところから、店を荒されたり危害を加えられたりする必配はほとんど感じておらず、また、農民らにそのような気配もほとんどみられなかつた。

(6)  農民らの右投石行為等により、原判示のとおり、六名(原判決添付警察官の負傷状況一覧表記載の三五名中2、6、8、10ないし12)の警察官が全治まで一週間ないし一〇日間を要する打撲傷等の傷害を負つた。

二以上の各事実によれば、前示群衆による暴行は、専ら警官隊に対するものであつて、一般住民を対象とするものではなかつたことが明らかであり、一般住民が、群衆により、生命、身体、財産に対し危害を加えられるとの気配をほとんど感じていなかつたものということができるのであつて、前示群衆による暴行は、いまだ一般住民の生命、身体、財産に危害を及ぼすおそれがあつて、これにより一地方の静謐を害するに足りる程度に達していたとはいい難いものといわざるを得ない。

第五結論

以上検討したところを総合すれば、前記農民らによる本件暴行、脅迫は、第二ないし第四の段階を通じて、警察官に対するかぎりでは相当激しく、また、琉映館もこれによつてかなりの損害を蒙つたことが認められる。そして、原判決挙示の各証人中には、本件の騒ぎについて、市街戦とはこんなものかと思つたとか(証人仲間ユキ)、騒ぎが余り激しいので一人坐つて命がなくなるのではないかと思つていたとか(証人当間茂子)、投石の際は気も転倒する位驚き、戸を閉めてじつとしていたが、こわくてたまらなかつたとか(証人池村恵勇)警察官が群衆に追われて逃げてゆくようでは治安の維持ができないのではないかと不安に思つたとか(証人平良利雄)供述しているもののあることは明らかであるが、前掲各認定事実に照らし、右証人らの証言を言葉どおりそのまま信用してよいか疑わしいのみならず、原審が証人として取調べた付近住民の大部分は、農民らによる騒動の頂点は警察官が琉映館前で投石されて同館内へ入るまでの間であり、付近住民としても農民らと同じ島内の居住者であつて互に顔見知りの者が多いから、農民らが付近住民の住宅を襲いまたは付近住民の生命、身体、財産に危害を加えるかも知れないとの不安を抱いてはいなかつたと述べているのであり(証人堀川シゲ子、同森村暢敏、同平良利雄、同下地清、同天久英、同佐和田正雄、同宮里新吉等)、現に付近住民の生命、身体に対して危害が加えられたことを認めうる証拠はなく、その財産に対しても前述した以上に危害が加えられたことを認めるに足りる証拠がない。かえつて、原審取調べの各写真撮影報告書によれば、原判決が騒擾が成立したと判断した時点においても、子供を含む多数の見物人いわゆるやじ馬が道路上に立ちあるいは腰を下したまま警察官の行動を注視しており、そこには緊迫し、騒然とした状況は窺われないのである。むしろ、付近住民の一部が本件の騒ぎについて恐怖を感じたのは、自己の生命、身体、財産に対して危害を加えられるおそれがあつたからではなくて、農民らが警察官に対して投石等の行為に及んだ事実を始めて目撃した驚きの念からであつたものといわざるを得ない。すなわち、本件暴行、脅迫はいまだ一地方における公共の平和を害するに足りる程度には達していなかつたものということができる。してみれば、原判決が前記農民らの暴行、脅迫が騒擾罪の構成要件たる一地方の公共の静謐を害する程度に達していた事実があるものとして、被告人らの各行為をそれぞれ騒擾首魁、同助勢、または同附和随行にあたると認定したのは、事実を誤認したか、または法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない(なお、原判決は、前記第一の段階においてはいまだ騒擾は成立していなかつたと判断しながら、この時期における被告人与那覇および同宮里を除くその余の被告人らの行為をも騒擾罪にあたると判示しているのであるから、すでにこの点において違法たるを免れない。)。論旨は理由がある。

よつて、本件各控訴はいずれも理由があるから、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により、原判決を全部破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに、自ら、次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

一、被告人砂川邦彦は、

(1) 一九六五年七月二四日午前九時頃、沖繩県平良市下里五六五番地宮古琉映館正面入口において、同時刻開催される予定の宮古製糖株式会社臨時株主総会の会場整理等のために同館に入ろうとした垣花郁夫(昭和七年九月生)が左手で入口扉の端をつかんだ際、同人の入場を阻止するため、急に扉を閉めて同人の左手をはさみ、右暴行により同人の左手に全治まで約一週間を要する傷を負わせ、

(2) 同日午前一一時頃、同館内で右会社々長真喜屋恵義が農民らに監禁されているとの通報により同社長を救出するためかけつけた宮古警察署長名嘉山助生らの警察官が同館に入ろうとした際、同館入口において、警察宮の入るのを阻止するため、扉を内側から引つ張つて一時その入館を阻止し、もつて警察官の公務の執行を妨害し、

二  被告人宮里徳仁は、洌鎌玄一および友利恵彦と共謀のうえ、同年八月六日午前一時頃、同市字西里旅館風月楼前道路上において、通行中の仲宗根吉雄に因縁をつけて殴る蹴るの暴行を加え、よつて同人に対し、全治まで五日間を要する顔面および左前腕打撲ならびに擦過傷を負わせ

たものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律二五条一項前段により、判示各事実に法令を適用すると、被告人砂川の判示一(1)の所為は、沖繩の刑法二〇四条(懲役刑を選択)に、判示一(2)の所為は、同法九五条一項(懲役刑を選択)に、被告人宮里の判示二の所為は、同法六〇条、二〇四条(懲役刑を選択)にあたるところ、被告人砂川については、その各罪は同法四五条前段により併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い右傷害罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をしたうえ、被告人両名をそれぞれその各刑期範囲内において、主文二項掲記の刑に処し、なお犯情を考慮し、同法二五条一項一号を適用してそれぞれ主文三項掲記のとおりその刑の執行を猶予することとし、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文に従い、主文四項掲記のとおり被告人宮里に負担させることとする。

(被告人下地、同亀浜、同与那覇、同友利および同伊佐の各無罪ならびに被告人砂川および同宮里の一部無罪の理由)

第一公訴事実(総論部分は、起訴状記載の公訴事実をほぼ原文のまま記載したものである。)

宮古農民協議会を主体とし、宮古市町村長会、議長会、農協長会を加えたいわゆる四者協議会は城辺町字砂川八四一番地在、宮古製糖株式会社(以下宮糖と称す)と伊良部村字伊良部一三九一番地在伊良部製糖株式会社および多良間村在宮多製糖株式会社が合併する事は企業の独占化を図り農民を搾取するものであると考え、その企画の撤回方を宮糖に対し申し入れ且つ、四か市町村の農民に呼びかけ合併阻止運動を続け、一九六五年七月二一日平良中学校々庭において製糖工場合併阻止郡民大会を開催し、合併反対を決議し、その上、陳情団を政府に派遣陳情する等対策を講じてきたものであるが、宮糖側は、三社合併の既定方針を貫くべく、同年同月二四日午前九時平良市字下里五六五番地宮古琉映館、同市字西里一五七番地沖映館の二か所において三社合併の決議をするための株主総会を開催すべく株主を召集したので、合併の決議を阻止すべく、同月二三日平良市字下里八五一番地上野農協東広場において宮糖合併阻止郡民大会を開催し、総会を実力をもつて阻止せんと、気勢を上げ引続き、坐り込みを為すことを決議し、同日午後十一時頃から琉映館及び沖映館附近に坐り込みを決行しその後、時間の経過と共に漸次その数は増大し約二千名に達した。

翌二四日午前五時半頃琉映館に会社側警備員が這入ると群衆の一部の者は、同館裏戸を破壊して館内に這入り警備員約三〇人を館外へ追いだし、更に午前六時頃会社側警備員一五〇名が、会場整理のため同館に到着するや群衆は右警備員を取り囲み、殴る蹴る押す等の暴行を加え酒瓶や棒切れ等を投げて脅迫し、警備員を追に払い、更に午前九時頃、会社側警備員約二五〇名が総会受付け開始のため再び同館に至るやこれら警備員を群衆が取り囲み「ワツショイワツショイ」と気勢を上げ、騒然とした雰囲気の中で殴る蹴る押す等の暴行、脅迫を加えて、警備員を追つ払い、総会の開会を不能ならしめ、同日午前十時五三分頃、館内二階事務室に監禁されている宮糖社長真喜屋恵義他六名を救出するため同館に出動した宮古警察署長名嘉山助生他七一人の警察官に対し群衆は一斉に罵声を上げ怒号し且つ投石する等の暴行、脅迫を加え、同館、国際旅行社及び附近民家の硝子、屋根等を損壊し更に同日午後三時四〇分頃警官隊が社長を救出して、同館から脱出するや群衆の一部は共同して警官隊に投石し乍ら宮古警察署裏附近まで追跡し、その間に警察官三四人に対し傷害を負わせる騒擾の罪を犯したものであるが、右騒擾に際し、

一、被告人下地肇は、農民協城辺支部書記長としてかねて宮糖の合併反対を唱えてその運動を展開して来たもので、

1  前述のとおり七月二三日上野農協広場での宮古郡民大会において、翌二四日に開催される宮糖の株主総会の会場前に坐り込み総会を阻止すべき旨の動議が出されるや、議長にも図ることなく、右多数の農民が徹宵して坐り込み、或は総会開催前までに集合して坐り込んで総会を阻止せんとする際、群衆が暴行脅迫等の処為に出るかも知れないことを認識し、これを予測しながら、「今晩から坐り込みをする旨」右動議を採択し、自ら群衆を引卒指揮して総会会場の現場における坐り込みの配置をし、

2  同日午後一一時頃、琉映館前で群衆に対し、「明日の総会には会社の警備員が来る筈だから、館内に入れないようにせよ。」と指示し、

3  翌二四日午前六時過頃、砂川薬店前で沖映館前の群衆に対し、徳嶺栄行と共に、「今琉映館で警備員を追い返して来たが、こゝにも来る筈だから入れないように追い返せ。」と指示し、

4  同日午前八時頃、琉映館前の群衆に「入口を塞いで坐るよう」指示し、

5  同午前九時頃、同館前に総会準備のために来た警備員を追い返せと指揮し、

6  農民協代表として同館二階事務所で会社合併反対のために真喜屋社長との交渉に加わり、

以て本件騒擾を首唱画策して首魁となり、

二(一)  被告人亀浜弘は、城辺町で農業をしている者で、七月二三日上野農協広場での大会後引き続き坐り込みをするため琉映館前に来たが、多数の群衆が徹宵して坐り込み、或は総会開催前に坐り込んで総会を阻止する際、群衆が暴行脅迫の所為に出ることを認識し、これを予測しながらこれを共にする意思をもつて坐り込みに参加し、

1 翌二四日午前六時過頃、会社側警備員として琉映館前にいた奥平寛をゴボー抜きにして群衆の中へ中の引きずり込み、

2 同日午前九時頃、同館二階ロビーで二合入り酒瓶を後ポケットに差し込んで、興奮した二〇名位の農民の中で「一人ぐらい殺してもよい。社長はどこにいるか。」と叫び、

3 同日午前一〇時五〇分頃出動した警官隊が投石を受けて館内へ入ろうとした際、大声で「入れるな。入れるな。」と叫び内側から扉を閉めさせ、

4 同日午前一一時頃皆美写真館二階から写真を撮影している人を認めるや、群衆に対し、「写真を撮つているぞ。フイルムを取り返せ。」と叫びつゝ同写真館へ急行し、

(二)  被告人与那覇博敏は、七月二四日午前九時頃琉映館前に来たが、多数の群衆が警官隊に石や瓶などを投擲するのを認識しながら、これを共にする意思をもつて、

1 午前一一時頃、琉映館二階庇から、群衆に対し、皆美写真館を指示しながら、マイクで「あゝいう具合に警察のスパイが証拠写真を撮つているから、そういう場合にはフイルムを没収しよう。皆さんの周囲には警察の私服員やスパイがいたら農民協の幹部に連絡しなさい。」と群衆に行動の指針を与え、

2 午後二時頃、琉映館東側十字路附近で附近の群衆に対し、「宮糖社長は合併しないと言つているから、もう関係ない。宮古交通に行つて従業員をやつつけよう」と言つて扇動し、平良産業の前でも四・五〇名の農民に、「こゝの社長も計量器をごまかして農民の血をしぼつた農民の敵だからこのさいやつつけよう。」と書つて扇動し、

(三)  被告人友利博佳は、七月二四日午前四時頃、琉映館前に来たが、多数の群衆が坐り込んで株主総会を阻止する際、群衆が暴行脅迫の所為に出るかもしれないことを予測しながら、これを共にする意思をもつて午前九時頃、会社側警備員垣花郁夫に対し、どうして入れないのかと抗議して群衆に卒先して数名の警備員をゴボー抜きにし、

(四)  被告人佐伊清は、七月二四日午前九時過頃、琉映館に来たが、多数の群衆が株主総会を阻止する際群衆が暴行脅迫の所為に出るかも知れないことを予測しながら、これを共にする意思をもつて、会社警備員が来た際、追い返せと叫んで、群衆の先頭に立ち暴行を示す動作をし、

(五)  被告人宮里徳仁は、七月二四日午前九時頃、琉映館前に来たが、同日午前一〇時五〇分頃出動した警官隊が群衆に投石されて同館に入つた際、群衆がなお警官隊に投石などの暴行を加えることを認識しながら、これを共にする意思をもつて、館内の警察官目がけて数回に亘つて投石をなし、三尺位の棒を持つて歩き廻り、

もつていずれも卒先して騒擾の勢を助け、

三、被告人砂川邦彦は、七月二三日の夜から琉映館前に来ていたものであるが、株主総会の阻止をする際、多数の群衆が暴行、脅迫の所為に出るかも知れないことを予測しながら、これを共にする意思をもつて、翌二四日午前六時頃会場整理のため琉映館前に来ていた会社の警備員を群衆と共に喚声を上げて押し返し、もつて本件騒擾に附和随行したものである。

第二無罪の理由

前説示のとおり、前記農民らによる本件暴行、脅迫は、いまだ一地方における公共の平和を害するに足りる程度に達していたとの証明はないから、騒擾罪の成立を認めることはできない。したがつて、被告人らの各行為の存否につき判断するまでもなく、被告人下地、同亀浜、同与那覇、同友利および同伊佐に対する各公訴事実ならびに同砂川に対する公訴事実中騒擾附和随行および同宮里に対する公訴事実中騒擾助勢の部分については、いずれもその証明がないことに帰するから、刑訴法三三六条後段により、右各公訴事実について無罪の言渡をすることとする。

なお、被告人砂川については、同被告人に対する公訴事実によれば、騒擾附和随行は、一九六五年七月二四日午前六時頃における行為であり、また、傷害は同日午前九時、公務執行妨害は同日午前一一時頃の各行為であり、したがつて、これらの各行為は一罪の関係にあるものとして起訴されたものとは解せられないところ、右騒擾附和随行の点については、前記同様その証明がないことに帰するから、同被告人についても主文で無罪の言渡しをするのが相当である。

よつて主文のとおり判決する。

(森綱郎 宮城安理 堀籠幸男)

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